「愛しいうんこ」
「まだ……、まだ駄目なのね!」
山岡麻由美は、その手にトイレットペーパーの切れ端を掴んだまま、トイレの個室の中で絶叫していた。
麻由美が最後に大便をしてから、もう半月になる。体重はなんと二キロ近くも増えていた。
結婚を機に仕事を辞めて家庭に入ってから、ジムに通ったり間食をもずく酢にかえるなど涙ぐましい努力を続けて維持してきたはずのウエストラインが、今、かなりやばい状態になっている。
それはものすごい衝撃を麻由美に与えており、家から出る気にもならなかった。腸への運動を促す為に運動を心掛けるべきだとは思っても、通っているスポーツジムで身体のラインにぴったりとしたスポーツウエアに着替えることすら、今の麻由美には苦痛だった。
結婚して家庭に入って既に五年の月日が経つが、未だに子宝に恵まれていない麻由美の趣味は創作だった。
学生の頃は大好きになった漫画のパロディを仲間と一緒にずっと描いていた。しかし、学生という立場から社会人になり、原作漫画への熱い想いを友達と語り合い、更に高めてひとつの物語にしていくには時間が足りなかったこともあり、少しずつ同人界から足が遠のいていた。それでも、お話を創るということだけは止められなかった。その内、携帯で思い付いた傍からストーリーを形にしてはパソコンに溜めるという形で小説を書くようになっていったのは、ある意味当然のことだったのかもしれない。
創作は、実に地味な作業である。漫画の時のように仲間で集まってわいわいと修羅場という名で集まってわいわいやる訳にもいかない。思いつくまま書き上げるだけの麻由美には、ネームの時のようにプロットを仲間と見せ合って意見を交わすこともできなかくなっていた。というよりも、麻由美は小説を書くようになったということを以前からの漫画仲間に話すことができていなかった。同じ楽しさを共有して膨らませていく二次パロディをいう世界にいた者にしかわからないかも知れないが、共有できないものを作っているということに、麻由美は後ろめたさを感じていたのだった。とにかく、麻由美はひとりで創作を続けていた。たまに夫である利夫に、これから書こうとしている世界を話して聞かせる以外は。
ある日、利夫が「パソコンの中になら、創作している仲間と話ができるぞ」と話しかけてきた。
たまに調べ物をしようと検索にかけるとやたらと引っ掛かる、ある某巨大掲示板のことのようだった。そこには創作をやっている人達が集まるコミュニティがあるという。
「でもそこって、“人大杉“って出て、見れなかったりするのよね。会話も特殊だし、覗いてもよくわからないし……」
そう麻由美は尻込みをしたが、利夫は構わずにさっさと専用のブラウザを麻由美の使っているパソコンにインストールし、さくさくと使用方法を説明してこう言った。
「はい。創作文芸板の板登録もしておいたからね。しばらくここを覗いて、そのうちにゆっくりとでも発言してみるといいよ。このお礼は、いつかものすごい作家様になって、印税で美味しい物でもご馳走してくれればいいからね」
そう利夫に笑いかけられた麻由美は「いつかなれたらね」と、軽やかに笑って礼を言った。
某巨大掲示板は面白かった。
女子高育ちの麻由美にとって、そこは全くの異世界といっても良かった。僅かしかない社会人生活の中では知り合えなかったような不思議な人達が交わす意見がふわふわと漂っている。話しかけられても頑なにひとりで持論を叫んでいるだけの人もいれば、自作を自分で褒めるいわゆる自演を行う人も、それを疑って発言する人も居る。
そのうちに、競作祭りの開催告知がされるようになった。
競作祭りというのは、規定枚数内で同じテーマの作品を一定期間内に指定された投稿サイトへと投稿し、お互いに感想と点数を付け合い、なんと順位付けまでするというものだそうだ。
さすが未来の小説家を志す人の集まりだ。ほわほわと思いつくままに想像の世界で遊んでいる麻由美とは違って、競い合うことで切磋琢磨していこうという事のようだった。
麻由美は利夫とは笑って約束を交わしておきながらも、自分が小説家になりたいと思って書いてきたわけではなかった。しかし、ずっと覗き見ていただけのその板の空気を、自分も中に入って味わってみたくなっていた。──私も、うんこ祭りに参加したい!
熱い思いが膨らんだ。仕事を辞め、その日の家事をこなし、季節ごとのジャムと果物酒と夫の浴衣を縫ったり庭弄りをしながら、趣味である創作という想像の世界に旅立つだけの日々をのんびりと過ごしているだけになってから、初めて麻由美が感じた熱い思いだった。
──うんこ、うんこ。あぁ、うんこ!
それは苦いかしょっぱいか。
熱いのか温いのか冷たいのか。
硬いのか堅いのか固いのか。
臭いは? 触感は? 食感は?まずはうんこを観察することから始めよう。毎日写真を撮って、観察日記をつけて、なんならちょっぴりだけ味見をしてみてもいい。触ってみようか。壁に向かって投げつけてみてもいいな。壁に当たったらどんな音がするかしら。どんな風に飛び散るかしら? びちょって感じかしら? それともべちって跳ね返ってくるかしら? どんなかしら? どうかしら?
麻由美はそれから毎日、自らの便意を待ちわびた。量を増やそうと食物繊維をたくさん摂った。腸の蠕動を促そうとミネラルウオーターをいつもの二倍、一日三リットル飲んだ。臭いをキツくしようとたんぱく質を多く摂った。そうして麻由美は、買い換えたばかりのデジカメを携えながら今か今かとその瞬間が来るのを待ちわびた。うんこ祭り開催告知のあった、その日からずっと。
それから半月。もう半月、まだ半月。うんこが出ない期間なのだから、“もう半月”でいいだろう。それだけの期間が過ぎたが、どんなに待ちわびても、最後には祈り涙する日を送っても、麻由美の尻からは待望のうんこは出てくることはなかった。
腹は痛くなる。きゅるるるるっとか、ぐうぐるるうるぅなどといった、横で聞いているだけでも傍にいる者の腹が痛くなるような、切ない音は聞こえてくるものの、うんともすんともでてこない。
さすがに今となっては薬も効かなかった。どうやら出口付近の便が固くなりすぎて弁のようになっているようだった。その為に、飲み薬を飲んでも腸の上の方に溜まっている便だけが緩くなって、更に腹が痛くなるのを助長するだけだった。恥を忍んで買い求めた頼みの綱であったイチジク浣腸の薬剤も、弁と化した便に塞がれて中に浸透していかなかったのだった。
利夫も、最初の頃は気にかけてもいなかったようだが、ここ最近の麻由美の様子がなんだかおかしい事に気が付いてはいた。しかし、決まって返ってくる「大丈夫よ」いう答えに深く追求する事もできずにいたのだが、いつもなら楽しそうに今夜の食卓の説明をしながら食べる麻由美が、ひと口ごとに溜息をつき、箸を止める姿に我慢が出来なくなって強い口調で問い詰めた。
「一体どうしたんだ。何があったんだ?」
一瞬、黙り込んだ麻由美は、利夫の真剣な口調と強い眼差しに追い詰められて、ゆっくりとその重い口を開いた。
「……ないの」
「え?」
「もう、ずっとないの……」
「それって、……妊娠かい!?」
「ううん、うんこ!」
わっとテーブルに顔を突っ伏して、麻由美が盛大に泣き出した。
その様に、なんのギャグかとツッコミをいれようとした利夫は、麻由美がしているのが嘘泣きではないことに気が付いた。それも単に泣いてるようでもなかった。麻由美は真っ青になって脂汗をかいて震えていたのだった。突っ伏して泣いているのではなく、蹲って涙を流しながら呻いていたのだ。
「きゅっ、救急車! 麻由美、麻由美しっかりしろ、麻由美!!」
世界が反転するような痛みの中で、麻由美はゆっくりと自分が意識を失って暗闇の中におちていくような感覚を味わっていた。「あぁ、これが気絶なのね……」
そう呟きながら。
麻由美が再び目を醒ましたのは、病院のベッドの上だった。左腕には点滴が繋がっており、右手には夫である利夫の手によって握られていた。
「……あれ……わたし?」
ぼんやりと霞む視界の端で、喜んでナースセンターに「妻が起きました!」とコールをしている利夫の様子を捉えながら、麻由美は自分の状態の把握に努めた。利夫の手を振り解いて下腹を探った。
「利夫さん、私のお腹、どうなっちゃったの?」
平らだった。正に、まっ平ら。軽く触れただけで判るほどゴツゴツした腸の感触が、どんなにまさぐっても全く判らなかった。
「あぁ、大変だったんだよ。あと少しで腸ねん転で死ぬところだったんだから。でももう大丈夫。高圧洗浄とかいうので、全部洗ってもらったからね、安心しておやすみなさい」
「!」
そう、麻由美の腹の中に溜め込まれていた大量のうんこは奪われてしまっていたのだ。待ちわびていた本人の意識が失われていた間に、高圧の水流で一気に洗い流されて行ってしまっていたのだった。
真っ黒に凝り固まった出口付近のうんこも、小腸間際の薬でユルユルになったうんこも、すべて。半月もの間待ちわびていた、愛しいうんこは、もう自分の腹の中から永遠に消えてしまったのだ。
失われたうんこへ捧げる熱い涙が、ぽろりと麻由美の頬を滑り落ちていった。その肌は、長引いた便秘の影響で荒れていた。
麻由美がようやく退院したときにはうんこ祭りはとっくに終わった。そうしてまた新たな祭りが開催されていた。
うんこ祭りに参加してみたくなったのは、私だったというオチです。
締め切り当日まで参加しようかどうしようかウダウダしていたので書く時間が本当に短かった……。
誤字だらけ、表現の重複だらけで顔真っ赤でした。。莫迦さも二倍だったという。。
あ。麻由美は私じゃないです。
基本的に漫画原作の二次創作系個人サークル&サイト者でした。
傍から見たら一緒でも、アニメ二次サークルとはノリが違っていると思ってます。
麻由美ちゃんは虹サクル者の設定です。