「 メル友 」

 

 

『自分の半分ほどの年齢の子供に、真実の愛なんて歌われるとバカにされてる気がする』

 久し振りに届いたメールの内容に、庄司は苦笑するしかなかった。
 午前一時。また職場で嫌な事でもあって、酒を呑んでも眠れないているのに違いない。
 庄司は、あとは朝までパソコン任せにすればいいというところまで仕事を進めてから、ゆっくりと携帯を取り上げた。

『流行の歌なんてイメージだけでいいんだから。アレに意味なんてないだろ』

 起きているという確証もないままに返信する。しかし、立ち上がる間もなくすぐに再度の返信が着て、庄司は笑いながらメールを開けた。

『返事がおそい』
『返ってくるだけめっけもんだろ』

 軽口そのままのメールのやり取りが続く。まるで学生時代の友人とででもあるように。
(会ったことすら、ないというのに)
 正しくは、本当の名前すら知らないのに、だ。出会い系で知り合った自称お局OLと、こうして半年以上もメールをやり取りを続けているのは何故なのか。庄司自身にもまったく解らなかったが、多分この不可解な関係が面白かったからなのだろうとそう思う。

(会いたいとすら、思いもしないな)

 庄司が出会い系をやっているのは、どう言い繕ってみても結局は身体目当ての筈なのだ。
 それなのに、何故か話がそこに向かわない。しかももしかしたら年上ですらあるかもしれないこのお局OLとのメールが何故止められないのか、自分でも不思議で仕方がなかった。

『そういえば、この間いってた女子大生はどうだったの?』
『女子大生? あぁ、おっぱいショボかった娘か。気持ちよくさせて貰いました』
『さすが! 喰っちゃったんだ(笑)』
『ハイ。ゴチソウサマです』
『今も会ってるの?』
『ああいうのはね、次に引き摺らないのがいいんです』
『恋愛相手探してるんでしょ?』
『勿論、いつでも探してるよ。運命の出会いってヤツを!(叫)』
『でも、ヤリ逃げし捲くっちゃうんだ(笑)』
『ヤリ逃げなんて失礼な! 会っておいて誘わないのは失礼でしょ。だから誘うの』
『やり逃げされちゃう方が悪いのね?』
『悪くない。美味しく戴かせております。感謝してマス』

 いっそ、電話にした方がいいようなペースでのやり取りが続く。しかも内容は悪友とのそれそのもので、持ってきたウイスキーを舐めながらの、暇つぶしにしかならない内容だ。
(明日も朝から会議入ってるのになぁ)
 データの解析が進んでいる事を示す単調なモニターを眺めつつ、そうは思うのだが、何故だか指は律儀に返信を続けていた。時計の短針は二時をとっくに廻っている。
 ようするに、まだ庄司自身も眠りたくないのだ。
 人並みに結婚でもすればいいのかもしれない。愛する妻を腕に抱いてベッドに潜りでもしたら、眠れない理由なんてひとつの事以外有り得なくなるだろう。つまりは、その眠れない理由を解消すればいいだけなのだから。
 なんて。結婚なんて、したらしたで、不安は増えていくものなのかもしれないけれど。

 結婚どころか同棲すらしたことのない庄司には、他所から得た知識と想像による産物しかない訳で、本当のところはどうなのかなんて分かる由もない。

『永遠に愛せる相手なんて、本当に誰にでも用意されてるものなのかな』
『いるって事になってるけどねぇ』
『もし本当にいたとしても、会っただけでわかるかな? 目印って付いてないよね』
『某芸能人曰く、ビビビってくるんだろ?』
『本当にそうならいいのにね。初対面でビビビってこない人は違うって確定なの(笑) でも、そうしたらスクリーンの中に私の運命の相手はいるって事になるのかしら』
『もしかして韓流おたくとか?』
『違いますーっ。スーツの似合うジェントルマンが理想なの』
『スーツね。俺も良く似合うって言われるよ』
『女子大生に?』
『ヤラせてくれる女子大生に』
『私のアステアを一緒にしないでよ!』
『わはははははは。古い映画ばっかり観てるんだ』
『そうよ。最近のうるさいばっかりのは、苦手なの』
『俺も苦手かな』

 本当は、静か過ぎるよりは煩い方がずっとマシだと、そう思っていた。
 疲れて帰って来て、誰もいない暗い部屋に自分で明かりを灯すとき、不意に押し寄せるあのどうしようもない寂寥感から目を逸らすために、出会い系はあるとさえ思っていたほどだ。
(心の中にある真っ暗な谷底を、正面から覗き込む気にはなれない。それはきっとアンタもだろ、お局様?)
 グラスの中で、すっかり小さくなってしまった氷が口の中に入り込んできたのを、勢いよく噛み砕く。小さくなっていたくせに、氷は妙にカン高くガリンという音を立てて砕け、まるで庄司のその行為に異議を唱えているみたいだった。

『嘘つき』
『何が?』
『うるさい方がマシだと思ってるくせに』
『なんでそう思うの?』
『そうでなくちゃ、こんなメールになんか付き合ってくれる訳ないもの』
『さすがお局さま! すばらしい洞察力でございます』
『ばーか』

 帰ってきた返信に思わず声を出して笑いながら、庄司は、携帯を片手に持ったまま新しい氷を取りに形ばかりの狭いキッチンへと向かった。
 冷蔵庫とレンジ以外はろくに使われない生活感のやたら薄いそこで、冷蔵庫の立てるブーンという低い音だけが、ここにも生活があるのだという証しにみえた。しかし、その中身といえば、ビールとミネラルウオーターとチーズだけという絵に描いたような独身者のそれなのが笑える。そう考えながら、グラスへ氷を掴み入れつつ、片手でメールを打ち込んだ。
 メールの内容を考えて入力と、冷静な独身男への観察記録と、氷の補充。
 おぉ、なんて俺は器用なんだ!
 そう、庄司は自画自賛をして、もう一度、先ほどとは全然意味も種類も違う笑い声を上げた。

『それにしても、ビビビってさ、片方だけにきちゃったりするのって困るよなぁ』
『あぁ。迷惑よね、アレ』

 お? 珍しくお局様の恋の過去話でも聞けるのだろうか。庄司には話させるくせに煙に巻くのが上手すぎで、これまで一度も成功したことがない。なんとなく、いつもとは違う気がする展開に、庄司は胸を躍らせた。

『もしかしてストーカーに合ったことあるとか?』
『ストーカーに合ったことはないわね』
 うおっ。バッサリ。やはり今夜も無理なのかと、あっさり庄司が諦めかけた時だった。
『ストーカーに、なりかけたことがあるだけ』
『ふーん。そうなんだ……って、え?!』
『(う_そ)ぴょーん』
『“ぴょーん”て歳か、コラ』
『ツッコむ所、そこなんだ(笑)』

 他のどこにツッコミを入れればいいと言うのだろう。バランスの難しい笑いはやめて欲しい。お互いに、悩むような関係を求めている訳じゃない筈だ。

『でも本当よね。たったひとりの運命の相手だっていうのなら、わかりやすく印でもついていて欲しいものだわ』
『そうだよな。なんでみんな、その、たった一人を決められるんだろうな』

 間違っていたと判っても、そう簡単に別れることもできないことも多いのが結婚という制度なのだと、酒の席で愚痴を聞いた事はなんどもある庄司は、この返信内容を打ち込みながら、ため息を吐かずにはいられなかった。
 大学の後輩や会社の先輩。×印がひとつでは済まないヤツも多いし、×無しで十ン年も続いていても、内実はデッカい×がついていたりもするのだという。そんな話を聞くたびに、何故、今度こそ本当の本物だと確信して公表(つまりは結婚)できるのか。それは庄司にとっては大いなる謎だった。

『なんでみんな結婚を決められるのかしらね。好きな相手であることは確かでも、明日になったらもっと好きな相手と出会うかもしれないのに。相手の人に自分より好きな存在ができてしまうかもしれないのに』
『答:そこまで考えられるようになる前に、結婚にダイブしちゃうから』

 俺くらいの歳になって、色々と廻りを見てしまってからでは多分遅いのだ。

『つまり、私にはもう手遅れだってことね』

 お局様が手遅れかどうかは、わからない。
 でも、なんとなくだけれども、自分と一緒なんだろうなという気が庄司にはしていた。

『モノの本に拠れば、手遅れなんて言葉は、人生にはないそうだよ』

 それでも入れるのは別の言葉にしておいた。
 メールは便利だ。口調でバレたりすることもない。

『ありがとう。これからの人生の希望にするわ』

 なんとなく、このメールからは、さっき庄司が送ったものと同じ匂いがした。
 ──思っているのとは、別の言葉。
 このお局様とのメールが長く続いている理由が、初めて、少しだけ庄司には解った気がした。

『明日も会社なんでしょう? 遅くまで付き合わせてごめんなさい』

 これ以上続けたら、この今の楽な関係が終わってしまいそうな気が庄司にはしていた。
 多分それと同じものを、このお局様も感じたのだろう。そろそろ幕の引き際だと彼女も思った。だからこそ、こう告げてきたのだろう。──しかし。

『真実の愛は、自分がそう感じたと信じられた時には、本当にあるんだよ』

 止めておけ、と理性が頭の中で警告を発していた。しかし、それを無視して続ける自分に、庄司はらしくないと戸惑っていた。

『終わってしまった恋≠本物の恋∴始まったばかりの終わってない恋=本物の恋だと信じるヤツもいていいし、死ぬ間際にアレがそうだったと思うことしかできないヤツもいるだろう。でもそれでいいんだ』

 送信ボタンを押した指が震えているのを、庄司は他人のことのように見詰めていた。 
(なんなんだ、これは?)
 普段の庄司の思考回路からは、随分とかけ離れたその主張に、頭が痛くなる思いだった。
 返信がくるまでの時間が妙に長く感じる。それまで、あんなにすぐに着信が返ってきていたのに。

『そうね、自分が信じていると言うこと以上に確かな事なんて、ないわよね。他人の台詞は、たとえそれがどんなものでも結局は無責任だもの』

 他人の台詞──その言葉が、強く庄司の心に突き刺さった。

『無責任発言の塊ですまんね。まぁ、結局は、始まりが出会い系だし、お互いに名前だって知らない関係だしな』

 逢えもしない出会い系。そんな気まぐれな関係にムキになった自分が、庄司は恥ずかしくてたまらない、そんな気分だった。

『無責任なのは、私の方ね。ごめんなさい』

 指先だけの気軽な会話。繋がっているというだけで、実際に伝わるものなどなにもない。
 それが、今の俺達に於けるメル友という関係だと、庄司としては十分解っていたつもりだった。
 声も、仕草も、表情も、匂いも、体温も、なにもかも。一切知らない、知る事のない関係で居続ける。
 そのことに何の不満もなかった筈なのだ。そう。ほんの十分も時間を遡れば、それは庄司が本気で思っていた事だった。
 ──では、今は?
 不意に浮かんだ自問に、咽喉がぐびりと音を立てた。
(今の俺は……)
 すっかり返信することを忘れていた庄司の携帯が、再び鳴った。

『もう寝ちゃった? 私も眠るわ。おやすみなさい』

 俺が寝ていない事など承知の上で、ぬけぬけとこんなメールを送ってくる相手に対して、庄司は身体がカッとなって頭に血が上っていくのを覚えた。

『会いたい』

 震える指で、なんとか入力する。しかし、送信ボタンを押す事が、どうしても庄司にはできなかった。
「会いたい」
 ひとり暗闇の中、言葉に出して、言ってみた。
 そして、──送信。
 先ほどまでのあんなにも軽やかにかえってきていた返信がくるまでの時間が異様に長く感じる。

『やりたい、じゃ、ないのね』

 それでも、それはきた。メールに返信が来る、それだけでなぜこんなにも声が出てしまうほど嬉しかったのか、庄司にはまったくもって今の自分は理解不能だった。

『じゃあ、やらせろ』

 震える指で、返信した。内容だけなら元のままの軽口そのままに見えるかもしれないが、入力している庄司にとって、まったく別次元のものと化していた。

『バカね、本当に』
『馬鹿で結構。だからやらせろ』
『いつも、そんな口説き方してるの? そんな調子で、女子大生が落とせるとは思えないんだけれど』
『女子大生達に、こんな事は言わないな。美味しいもの食べに連れて行くっていって、ゴチソウになることにしているんだ』
『バカ』
『だから、馬鹿で結構だっていってるだろ。やらせろ』

(あぁ、もう。本当にまどろっこしい)
 メールを打つということが、こんなにももどかしく感じたのは初めてのことだった。
 なんとかならないかと思った瞬間、庄司の頭に閃くものが奔った。データ入力に1時間以上もかけたそれを黙々と解析を続けていたパソコンのソフトを強制中断させ、庄司は古いフォルダのひとつを凄い勢いで漁りだした。
「……これだ」
 震える手で、庄司はパソコン画面に映った番号を、携帯に入力をした。着信拒否が切られている事を、電話番号の主が変わっていないことを祈りながら。
 果たして──?

「……ハイ、横田です」

 震える女の声に、聞き覚えがあった。いや、あるのは当然で、問題は、この先なのだ。
「庄司です。いや、馬鹿男と自己紹介した方がいいですか?」
 電話口の向こうで、あらためて衝撃を受けているのが庄司に伝わってくる。それが、自分の指先で、甘い痺れに生まれ変わるのを、庄司は感じていた。

「会いたい。会って、ちゃんと話がしたい。同じ時間を同じ空間で感じたい」
「よく、この番号を残しておいたわね」
「まだ会えてない女のコとの繋がりを消すほど、モテる訳じゃないんでね」

 出会い系をやりだしたばかりの頃、何度かメールをやり取りして電話番号まで聞きだしたのに、会えなかったひとりの女性との楽しかった会話を思い出した。あの時のメルアドとお局様のメルアドが同じだと言うことに、何故、今まで気が付かなかったのか。そうして、何故、今になって気が付いたのかは、庄司にも解らなかった。
(きっとこれが、さっきの会話の答え。“目印”だ)

「……本当に、バカなんだから」

 彼女の声は震えていて、まだOKの返事を貰えた訳でもなかったけれど、庄司はある種の確信を持って言った。

「次の週末なんてまどろっこしいことは言わない。明日、会社を休んで俺と一緒にいよう」

 彼女は何度も馬鹿と繰り返すばかりだったけれど、その声は、妙に明るく庄司の耳に届いていた。

 

 

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